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アルバム『As Time Goes By』幻のライナー・ノーツ

アルバム『レインボウ・コネクション~アズ・タイム・ゴーズ・バイ』
幻のライナーノーツ
(2002年8月投稿)

 カーペンターズが2001年夏に発表したアルバム『アズ・タイム・ゴーズ・バイ / Rainbow Connection 〜 As Time Goes By』にはリチャード・カーペンター自身の解説がついていましたが、当初は別口にライナーノーツ執筆の依頼を受けた人物がいました。ダニエル・レヴィティン氏は元コロンビア・レコードのスタッフ・プロデューサーで、現在はカナダのモントリオール市にあるマクギル大学で心理学部教授として教鞭をとっています。

このライナーはリチャードとA&Mの依頼によりレヴィティン氏が書いたもので、”内容をよりパーソナルなものにしたいから”という理由でリチャードが自分自身でライナーを書くまでは、アルバムと共に発表される予定でした。レヴィティン氏も日本でカーペンターズが愛され続けていることはご存知で、「ぜひ、日本のみなさんにも読んでいただいてください。そのために書いたのですから」と、このサイトでの翻訳の掲載を快く許可していただきました。

Proposed Liner Notes
by Daniel Levitin
originally posted Aug. 2002

このアルバムに納められた曲の大半は、1970年代にABC放送から放映された5回のカーペンターズ特別番組のどれかのために録音されたものだ。あの当時の人気ミュージシャンであれば、ゲストあり、歌あり、踊りあり、軽いコメディ寸劇ありという音楽バラエティ・ショーは、ごく普通のことだった。これは、エンターテイナーたるや芸能の色々な分野に長けてなければならないというヴォードヴィル(寄席演芸)的な考え方の産物であり、バラエティ・ショーはパフォーマーがさまざまな役をこなすのを見ることができた。ジャッキー・グリーソン、キャロル・バーネット、ペリー・コモなどのテレビの老舗バラエティ・ショーは歌や踊りに満ち、番組のホストはゲスト・スターと軽いタッチでコメディを繰り広げていた。70年代、バリー・マニロウ、オリヴィア・ニュートンジョン、ヘレン・レディ、ジョン・デンバー、ニール・セダカといった面々はみなキー局のバラエティ・スペシャルでホスト役を務め、もちろんグレン・キャンベル、トム・ジョーンズ、アンディ・ウィリアムス、エンゲルベルト・フンパーディンク、キャプテン&テニール、ソニー&シェールもスペシャルの他に、自らのシリーズをこなした。カーペンターズも例外ではなく、上記アーティストの誰よりも偉大な音楽的成功を納め、夏のシリーズや5本の特別番組は、高視聴率やゲストのトップスターを惹きつけた。これらのショーで、いくつか素晴らしいパフォーマンスが繰り広げられたが、ごく最近までそれは消滅したと考えられていた(しかしずっとカーペンターズ・ファンの間では、何曲かの海賊版は流通していた)。1999年リチャード・カーペンターはこれらのショーからのオリジナル・テープを集めることに費やし、一年以上をかけてリミックス、再オーケストレーション、そして本作品でのリリース用にさまざまな準備をした。

オープニング曲の「ウィザウト・ア・ソング」は、『インタープリテーションズ』というアルバムで既に一部発表済みだったが、そのヴァージョンは短く編集されたもので、このアルバムで聞けるフル・ヴァージョンではない。カレンとリチャードは、1980年制作のテレビ・スペシャル『ミュージック・ミュージック・ミュージック』用にこれをレコーディングし、音楽バラエティ・ショー向きにリチャードは「いかにもテレビ・ショーのエンディングらしい大仰で劇的な」オーケストレーションをほどこしたため、『インタープリテーションズ』には場違いな感じがした。しかし本作品は1967年から1980年までの素材を集めたものであり、リチャードにとってはミニチュア・ボックスセットのような感じでもあるので、1929年のスタンダードナンバーのフル・ヴァージョンは適当であるとということで、このアルバムで初登場となった。

テレビ・スペシャルの音源以外も何曲かある。「ひとりぼっちのあいつ」や「夢のカリフォルニア」は、まだレコーディング契約さえなかった時代にジョー・オズボーンのスタジオでふたりが録音したデモだ。リチャードは1999年、オリジナル・ヴォーカルを残しながら(そして「夢のカリフォルニア」のオリジナルも)、この2曲に新しいオーケストレーションを加えた。「リーヴ・イエスタデイ・ビハインド」と「レインボウ・コネクション」は、本邦初公開だ。メドレーの “Comin’ Thro’ The Rye/Good Vibrations”は1976年、ロンドンはパラディアム劇場ライブのアンコールだ。多くの人がカーペンターズは多くのインスピレーションをビーチボーイズから受けたと考えているようであるし、確かにふたりともビーチボーイズが大好きだったが、実際はレス・ポール&メリー・フォードや、ジャッド・コリン&ザ・リズマリーズに彼らのハーモニーの大半をたどることができる。

カーペンターズは1970年から1980年のナンバーワン・アメリカン・グループであり、彼らのアルバムは記録破りの数字で売れ続けている。なぜ彼らの音楽は人々の心を動かし続けるのだろう?それに、これほどの歳月が経ったにも関わらず、なぜ未だ新鮮に聞こえるのだろう?カーペンターズの音楽が長生きしている理由のひとつは、決してトレンディではなく、トレンディでないことを狙うでもなく、また、即座に(引き入れられる)親しみと、(くり返し聞きたくなる)豊かな複雑さの適度なバランスを突いているからだ。そしてそこにはカレンとリチャードがいる:録音されたポップ音楽史において、最もピュアでパーフェクトな歌声を持つひとりであるカレンと、アレンジャー/プロデューサーとして比類なき才能を持つリチャードは、レコード業界で最も尊敬されるミュージシャン郡の中に入る。

まず最初に聞こえてくるのは、即座に分かるあの声だ—カレンは偉大なシンガー達と共通する類い希な資質を持っている。フランク・シナトラ、エラ・フィッツジェラルド、ペリー・コモを思い浮かべてほしい。歌い出しの音を聞くだけで、誰が歌っているかを認識し間違えることはない。他の誰かの声と混同することはない。コモのようにカレンの歌にも、誰も真似することのできない、技巧や見せかけではない透明感と清潔感がある。KDラング、クリッシー・ハインド、そして”物欲女(マテリアル・ガール)”ことマドンナといった世代のシンガーに影響を与えた。

しかしいかに素晴らしい声の持ち主でも、その声に合った曲やアレンジがなければ、宝の持ち腐れだ。過去30年の間、音楽業界内には広く知れ渡っていても、一般に知られていないのは、カーペンターズにおけるキャリアの本当の秘密が、リチャード・カーペンターであることだろう。リチャードは舞台の裏に回り、グループ用の素材を、辛抱強く選択し、業界の他の”専門家”が却下したか無視したかの曲をしばしばレコーディングし、チャートのトップに送りこむのだった。ロサンゼルスの地元テレビで放映され、南カリフォルニアのあらゆるレコード会社の重役やミュージシャンが一週間に何百回と耳にしていた30秒の銀行コマーシャル・ソングを、リチャードがゴールド・レコードに仕立てた話は、たぶん聞いたことがあるだろう。他のだれひとり「愛のプレリュード」をリリースしようと思わなかったことは、リチャードの鋭い音楽センスを物語る。そして妹に適した曲が見つからなかった時は、リチャード自身が曲を書き、「オンリー・イエスタデイ」、「イエスタデイ・ワンス・モア」、「トップ・オブ・ザ・ワールド」など、グループの大ヒット曲になったものもある。自分はヒット・レコードをいかに作るかを心得ているし、ヒットシングルの選び方も知っていると主張し、リチャードがレコード会社の重役と衝突したことも、一度ではなかった。そして意見の相違の中、リチャードは常に正しかった。必ずいつも。それでも(通称”E”として知られる)イールズのマーク・エヴェレットからKDラング、ヴァン・ダイク・パークスからスティービー・ワンダーまで、他のミュージシャンが羨望するのは、リチャードのアレンジの才能だ。端的に言おう—リチャードは現代で最も才気溢れ、クリエイティブな音楽アレンジャーだ。

アレンジとは何か?それは最高に難しく挑戦的な音楽的作業だ。曲の雰囲気に応じて、シンガーの声を最もパワフルに、または最も繊細に出すために適した鍵(音程)を選ぶことである。それは、その歌が歌詞から始まるべきか、サビの部分からの方がいいのか、またくり返しはいくつ作り、ギター・ソロはあった方がいいのかどうか等を決定することであり、どの楽器がどのような音を演奏して曲にバックをつけるかということだ。アコースティック・ギターがいいのか、電気ギターがいいのか、どのようなサウンドのものがいいのか(「愛にさよならを」でリチャードとトニー・ペルーソが打ち出した”トランジスター・ファズ・トーン”のギター・サウンドは、今やエイミー・マンからジミー・ペイジまで、広く取り入れられている)。もしも頭の中に残る曲があったなら、きっとそこで聞いているのはアレンジやメロディと、人のイマジネーションをくすぐるちょっとした”フック”、心の周囲でぐるぐるとまわり踊るサウンドであることだろう。「スーパースター」のヴォーカルの間を埋めるトランペットのファンファーレ、「遥かなる影」のオープニングを飾るエレガントでシンプルなピアノ演奏、「ウィザウト・ア・ソング」の豊かなハーモニーに流れる感動的な対位旋律。プロデューサーはこれを”イヤー・キャンディ(耳の飴:耳に心地よいもの)”と呼び、リチャードは最も優秀な菓子職人のひとりなのだ。

アレンジは初心者とマエストロを分けるものであり、その曲を特別な出来事にするために、いかにエネルギーを持たせ、それを盛り上げて舞い上がらせるかということだ。西洋音楽にはたった12音しかない。ポップ・ソングが同じように聞こえるのも、いかにこの12音が積み重ねられ、からみあい、メロディにメリハリをつけ、豊かな和声に作り直した巧みなアレンジと組み合わせるかに因るものが大きい。

リチャードがアレンジャーの中のアレンジャーであるというのは、控えめな言い方だ(彼は同業者の投票により、グラミー賞の最優秀アレンジャー賞に5回輝いた註1)。専門家は彼をドン・コスタ、クインシー・ジョーンズ、ジョージ・マーティン、マントヴァーニ、ヘンリー・マンシーニ、バート・バカラック、ネルソン・リドルといった現代の伝説的な巨匠アレンジャーと同等に考えている。テレビ特別番組の収録数週間前にリチャードは番組の音楽アレンジャーであるビリー・メイ、ピーター・ナイト、または(フランク・シナトラとの仕事で最も有名な、ポピュラー音楽界最高峰アレンジャーの)ネルソン・リドルと話し合い、その時間に見合った音楽とアイデアを練っていく。メイ、ナイト、リドル(そう、あのリドルでさえ)、ほとんどいつもリチャードのアレンジ・アイデアに従った。リドルはリチャードにネルソン・リドル・オーケストラを指揮することさえ許したのだ!!
リチャードは実際、バート・バカラックの「遥かなる影」に新しい音楽を加えることにより、バカラックを超えるという前人未踏の偉業を成し遂げた。イントロのピアノと、エンディングの「ワーァーー」という耳慣れたコーラスは、純粋にリチャードのものであり、この曲と完全に一体化しているため、これを切り離して考えることは不可能だ。そう、その先この曲をカバーするミュージシャンが、どこで曲が終わり、どこからアレンジが始まるのか分からないほど、不可欠なパートを書くこと—それが偉大なるアレンジャーの証だ。
偉大なアレンジに共通することだが、カーペンターズの曲は、絶対にそうあるべきで、それ以外には書きようんがなかったようなサウンドをしている。注意深く組み立てられたアレンジは、まるで一本の釘も使わずリチャードが家を建てたような感じだ。その構造は、全ての要素がぴったりはまっていることで支えられている。その一つでも取り除けば、すべてが倒れてしまう。

彼の芸術の中心にはリチャードの類い希な才能があり、このアルバムでの「ディジー・フィンガーズ」や、彼の最新ソロ・アルバム『ピアニスト、アレンジャー、コンポーザー、コンダクター』で披露されている。私はリチャードと過ごした数年前の午後を決して忘れることはないだろう。彼はカーペンターズのヒット曲の数々を、ソロ・ピアノで弾いてくれた。「スーパースター」、「雨の日と月曜日は」などのなじみ深いヒット曲のピアノ・アレンジで、リチャードはすべての楽器パートを、その二つの手でカバーしたのだ!バイオリン、バック・ヴォーカル、管楽器など、全ての楽器のパートがそこにあり、完璧に澄んだ音色で割り振られていた。きっと彼の頭の中にそれが全部あったのだろう。

みなさんが手にしている新作には、リチャードの卓越した音楽アイデアと、カレンの最高の歌唱の数々をフィーチュアしている。「ウィザウト・ア・ソング」でリチャードは、シンガーズ・アンリミテッドを思わせるような豪華なマルチパートのハーモニーを重ねている。このようなヴォーカルの動きは、書くのも歌うのも、最も難しい和声の部類に入る。

カレン・カーペンターとリチャード・カーペンターは飽くなき追求を続け、常に実験をしながら、その歌の新たな深さと解釈をもたらす方法を見つけようとする。このアルバムで聞ける「スーパースター」のライブ・パフォーマンスで、カレンは音をすべらせ優雅にメロディを飾る。”bu-u-u-t you’re not really here” の”bu-u-u-t “と音を伸ばす直前の不協和音をFからGにすべらせて、メロディの緊張感を長く保たせているのだ。

ビートルズはアレンジの巨匠であると広く一般に認められている。それが理由で、ミュージシャンはビートルズの曲をカバーしようとしないし、もしカバーしたとしてもアレンジに手をつけることはない。ビートルズのヴァージョンは、神聖であると考えられているからだ。カーペンターズが「涙の乗車券」を録音した際、リチャードはメジャー7のコードを導入し、ハーモニーをジャズの世界に連れて行った(ポール・マッカートニーはそれを認めたと言われている)。そして彼らのヴァージョンの「ひとりぼっちのあいつ」は?どこかでひとりぼっちだ!レノンがF#マイナーからAマイナーに移行させた部分のAマイナーを、リチャードはA diminished 7に書き換え、カレンは”plans”の言葉をCではなくBで歌う。結果は明らかにドラマチックな緊張感が増し、更に満足のいく解釈となった。ビートルズのコードを書き換えるなどという大胆不敵なことをする人物は、そうはいない。しかしリチャードはそれを2度もやってのけた。

このアルバムの珠玉の作品のひとつに、リチャードがヴォーカルをとる「You’ll Never Know」註2がある。リチャードの歌声は偉大なラヴ・ソング歌手を思い起こさせ、その音程は超人的なほど揺るぎない。この曲はオーバーダビングもエフェクトもかけていないリチャードの歌声が聞ける数少ない楽曲であり、彼がいかに素晴らしいかを聞くことができる。

エラ・フィッツジェラルドの節回しとその歌い方はあまりにも伝説的であり、比較されることを恐れるあまり、大半のシンガーは彼女といっしょに歌おうとはしない。しかしこのアルバムに収録されたメドレーで(80年に録音)カレンは、歌姫のファースト・レディに物怖じすることなく、歌詞を交換しながら事も無げにハーモナイズしている。これらの曲は興味深い形で集められている。このアルバムの多くの曲がそうであるように、これらの楽曲も1970年代にABC局から放映された彼らの5本のテレビ特別番組のどれかのために録音されたものだ。当時の慣習に従い、すべての”ライヴ・ミュージック”は実際には口パクで、演奏はスタジオで事前に録音されていた。特番の録画前の日曜日の午後、リチャードとカレンは「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」や「サムワン・トゥ・ウォッチ・ミー(やさしき伴侶を)」など、このメドレーに収録された曲を録音した。殺人的なツアーやプロモーション・スケジュールを縫ってのことであり、カレンは歌をリハーサルする時間がなかったし、実際その曲を今までに歌ったことがなかったという。リチャードが彼女の前に歌詞を置き、テープを回し始めると、カレンはその曲をずっと歌ってきたかのように非の打ち所無く、一度で歌いきった。それがこのアルバムで聞けるヴァージョンだ。カレンはこれらの曲を初めて歌い、二度と歌うことはなかった。

もうひとつ例を挙げよう。ペリー・コモは非常にやかましく、長い歌手生活において通常は、デュエットで歌うことは拒否してきた。しかし(自分と同等の歌手であると思っていたので)例外的に、1971年に放映されたカーペンターズのテレビ・ショーでカレンとライヴで歌った。再びここでも、カレンは比較されても輝いている。

スタンダード曲のカバー、オリジナル曲、ジャズ、ロック、そしてポピュラー音楽と、ここに収録された16曲は註3カーペンターズの最も素晴らしいパフォーマンスのいくつかを象徴している。なかには30年以上前のものもあるが、どの曲も新鮮味を失わず、カーペンターズの音楽がタイムレスであることを物語る。時が流れるほどに、多くの人々がカーペンターズがいかに素晴らしかったかを気づいて行くことだろう。

註1実際はグラミー賞に5回ノミネートされていても、受賞はしていない。リチャードは同業者の投票により、5回ほど最優秀アレンジャー賞にノミネートされるという敬意を”勝ち取った(won)”という解釈にしていただければと思います。

註2この曲は最終的に収録されなかった。

註3最終的にこのアルバムには収録されたのは、14曲(隠しトラックがあるので、実際は15曲)。

* 翻訳文の著作権は私、小倉悠加が所有するものです。
* 原文の著作権はダニエル・レヴィティン氏にあります。 ライナーの原文は氏のサイトに掲載されていましたが、2012年現在、見当たらなくなっています。
* 無断掲載、転載、抜粋等は固くお断りします。